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適当に買取価格を語ってみたいと思います

知っているかもしれませんが毎年度の買取価格は発電設備の導入費や運転維持費をもとに算定していて発電事業者が利益を得られるように計算されています。

今回の買取価格の引き下げはこうしたコストが下がったことによるものです。また政府は再生可能エネルギーの最大導入と国民負担の軽減の両立を目指しています。CO2排出削減には再生エネルギーの活用が欠かせません。再生エネルギー利用を増やしていくなかで電力コストの削減も求められます。今後の再生エネルギー普及のためには適正な買取価格を捉え導入量を大きくしていくことが求められているのです。

固定価格買取制度における買取価格は今後も変化が見られるものです。発電コストの低下や再生可能エネルギーの普及状況が価格を左右します。発電コストが下がることで住宅用の太陽光発電の導入がしやすくなる面もあります。政府は固定価格買取制度の拡大を見込んでいて今後も注目される成長分野です。

誰の為なのか意味のある買取りが理想である

みなさん知っていると思いますが電力小売の全面自由化により家庭も制度上は電力会社を選択できるようになりました。とはいえまだすべての消費者が自分の望む電気を選べる状況ではありません。再生可能エネルギー由来の電気を使いたいという人々のニーズを満たす商品メニューがほとんどないのはその最たる例です。

自由化で先行するドイツやアメリカのテキサス州で再エネ由来の電気に特化した商品が消費者から一定の支持を得ているのとは対照的です。日本ではなぜ再エネ由来の電気を消費者が自由に選べる状況になっていないのでしょうか。その大きな要因として再エネ由来の電気のほとんどがそれを戦略的商品として活用する積極的な理由を持たない大手電力会社の供給力になっていることがあります。

再エネの導入量拡大に大きな役割を果たしているFITの存在が肉なことに消費者の選択する権利を奪っているのです。FITは太陽光や風力などの再エネ電気の買い取りを電力会社に義務付ける制度ですが買取価格は国が決めているため発電事業者はどの電力会社に売っても基本的に収入は変わりません。そのため全体の95%以上を大手電力が買い取っているといわれます。しかも2012年の制度導入以来大きく増えてきたとはいえ全発電量に占めるFIT電気の割合はまだ2%程度です。そのため多くの新電力にとっては再エネ由来の電気を売りたくても売れない状況にあるのです。

買取は悪いことではないのだが、全ての人が納得するのは難しい

さてさてFIT電力が増えれば買取費用も増加する。そのため国などは消費者が負担する賦課金も大きくなると指摘。改正FIT法は自然エネルギーの導入拡大と賦課金抑制の両立が大きな柱だ。その方策の一つとして導入されようとしているのが入札制度である。経産省は入札制度の対象を当面は大規模太陽光としている。

これは国が買取量や上限価格などの条件を指定し事業者が希望買取価格と発電出力を入札するもの。より低い買取価格を提示した事業者から落札されるしくみだ。従来FITによる買取価格は毎年改定され事業用太陽光では当初の1キロワット時当たり40円(税別)から同24円に引き下げられている。にもかかわらず入札制度が導入されるのは買取価格の高い未稼働の発電設備への対応が大きな理由となっている。設備認定を受けているのに発電していないメガソーラーが膨大な規模に上る。

設備認定済の自然エネルギー発電施設で稼働しているのは昨年時点で全体の3割どまり。約6千万キロワットある未稼働設備の実に55%をメガソーラーが占めている。国は今年度末の段階で稼働のメドが立たない発電設備に対して認定の取り直しを求める。その際買取価格の決定に入札制度を用いて買取価格の引き下げを狙っているのだ。

おすすめの自動車とバイクを語る、ついでに未来も

自動車もバイクも沢山の車種があるので、どれがいいのかわからなくなりますよね。個人的には、見た目がかっこいいというのが一番大事なので、デザインを重視する傾向があります。しかし、デザインだけで選んでしまうと失敗することもあるので、中身、つまり性能も大事な要素だと思います。とくに自動車の場合、どういう使い方をするのかによって選ぶ車種は違ってきます。デザインと性能、いいバランスの車種を選ぶのが一番いいのかもしれません。一括で見比べると見た目の違いはよくわかりますが、自動車やバイクというのは乗ってみないとわからない部分が多くあります。とくに乗り心地などは試乗してみないとわかりません。バイクも走らせてみないとライディングポジションや乗り心地はわかりません。保険をかけるわけではないですが、購入するまえに一度乗ってみることが大事だと思います。

中古の自動車がバイクを購入することもあると思いますが、中古車の場合、新車以上に色々な部分を見たり確認したりする必要があります。買ったあとで後悔するのはつらいのでしっかりと自分の目で査定をして見極めましょう。そういうのが面倒だなと思うのならば中古車じゃなくて新車を購入したほうがいいと思います。ディーラーに行って新しい車を見て購入しましょう。トヨタやホンダや日産やマツダや三菱、そしてバイクならホンダやスズキやカワサキヤマハなどが有名ですね。

自動車やバイクに乗るときは、保険を利用することになります。そして乗り換えるときは買取をしてもらうこともあると思います。廃車にすることもあるでしょう。そういうときに便利なのが一括で分かるサービスです。このNORIMOというサイトを見たらよく分かるのですが、保険でも買取でも一括がとても便利です。インターネットのおかげで便利なサービスが利用できるようになっているので、そういうものを活用していきましょう。おすすめされるようなものはどんどん利用して、お得に生活できるようになったらいいなと思うわけです。

最近バイクに乗る人が減ってきているというニュースを目にしました。電車やバスでどこでもいけるので、バイクに乗る必要がないのでしょう。日本でバイクが売れないなら海外で売るしかありません。バイクメーカーは海外で売れるバイクを作って売る必要があります。日本のバイクの性能が良いというのは海外の人も知っているので、そういう高性能なものを求める人には人気ですが、沢山売れるのは安いバイクだと思います。日本のメーカーというのは高性能なものを作れば売れると思っているところがあるので、そういう変なプライドは捨ててもらいたいなと思います。大事なことはお客さんがなにを求めているかです。

安いものを作ることができるのに、実際に作っているのになぜ日本でそれを売らないのか、気になるところでもありますが、自分たちで決断したことなのでそれは自分たちの責任です。

自動車やバイクは大手のメーカーが多いので、いずれ家電メーカーのようになっていくと思っています。つまり、数が減っていくわけです。それはガソリンエンジンが無くなる頃かもしれませんし、もっと先かもしれません。個人的にはそう思っています。自分で運転しなくていい、性能の差が出にくいとなると、選ぶ基準というのはかぎりなく
少なくなります。そうなると現在のような多様性は必要なくなるわけです。そして、みずから所有するということも無くなるかもしれないので、まったく違う組織、まったく違う仕組みになる可能性もあると思っています。勝手な想像ですけどね。

いつの世代も時代も愛は変わらない

かなり昔の物語ですが1929年の世界恐慌により再び業績が悪化したトライアンフは、1932年には自転車部門をラレーに売却。オートバイ部門では新たな主任技師ヴァル・ペイジを迎えて新規車種の開発をはじめました。1934年には社名を「トライアンフ」(Triumph Co.Ltd )へ変更して改革を推し進めようとするが、自動車部門が財政を圧迫します。1936年、オートバイ部門は自動車部門から切り離され、オートバイ会社・アリエルを再生させた実業家、ジャック・サングスターによって買収されました。

オートバイ専門となったトライアンフは社名を再び「トライアンフ・エンジニアリング」とし、元アリエル開発者のエドワード・ターナーを新たな主任技師としてトライアンフを立て直していきます。トライアンフ再建はペイジの開発した車種を基に改良することからはじまります。第一歩は単気筒のタイガー系列からだったが、1938年に登場したスピードツインが再建への節目となります。この車種は当時並列2気筒というだけで珍しかったが、単気筒が全盛だった時代に単気筒車種よりもわずかに軽量で最高速も優るという性能で、車両価格は単気筒よりわずかに高いだけという設定が驚異的であり、スピードツインは大いに売れてトライアンフの財政を一気に好転させる一因となった。更に翌1939年にはスピードツインの高性能版としてタイガー100が登場、34hp最高速度160km/hで人気を博しました。

1939年に第二次世界大戦がはじまると、先の大戦時のように、トライアンフは軍用車の生産に追われるようになります。だが、トライアンフを含めて軍需兵器の一大生産地となっていたコヴェントリーはドイツ軍の空襲を受け、トライアンフの工場も爆撃を受けて壊滅。政府の援助により近隣のウォリックに設けられた仮工場で生産が再開されたが、一方で新たな生産拠点としてメリデンに新工場が建設され、1942年には新工場で生産が開始された。なお、トライアンフが第二次大戦中に生産した軍用車は、最終的に約5万台にもなったといわれています。

人が操りコントロールして走る

あたらしい自動車、最近の自動車はエンジンのみの単一駆動源で動くものから徐々にモーターとセンサーを組み合わせた複合的な駆動システムへと進化しています。これに対してオートバイはいまだに駆動源をエンジンのみとしており、時代とともにパワー追求から省エネへと変化はあるものの、機構的に大きな変革はありません。安全性能の向上はABSの搭載有無程度の進化しかないように思います。

車体の傾斜・路面の滑り度合い・路面状態の把握などの危険察知は全てライダーが行います。そんなの当たり前だと言ってしまえばそれまでなのですが、実は乗馬の場合は馬が判断していたりします。つまり、安全に走るという点では乗馬のほうが、まだまだバイクに勝るということなのだと思うのです。動画で馬がバイクに勝つ所があります。実に面白いことです。

もし、走路の傾斜・車体の傾斜・路面の滑り状況・荷重量・風圧、など走行に影響をもたらすありとあらゆる状況にリアルタイムに応答して操縦を補助する駆動システムを可動部各所に搭載して運転全体をより積極的にサポートするようなオートバイが登場したら、この樽回り競争でバイクは馬に勝てるかもしれません。そして、そのオートバイはきっと今までのオートバイとは比べ物にならない高い安全性を実現するんじゃないでしょうか。更には、バイクメーカーだけではなく、センサーやモーター、更にコンピューティングも必要とされ、幅広く産業の活性化につながるかもしれません。

頭を守るのが大事なのさ、脳があるから

バイクのヘルメットは海外ではどうなっているのだろうか。例えば、アメリカでは州によって法律が違う。ヘルメットの着用が義務づけられている州や、18歳以下のみ着用が義務づけられている州など、州法によってさまざま。ただし、ヘルメット着用義務がない州でも目を守るサングラスが義務づけられていることが一般的だ。次にヨーロッパに目を向けると、以前はイタリアなど一部でヘルメット着用義務がない国も存在したが、EU加盟国は地域全体でルール統一が進んできた。

一部の国のモペットなど小排気量車両を除き、今ではほぼすべてのバイクでヘルメット着用が義務付けられている。その他の欧米諸国でもヘルメット着用義務は同様。先進国ではヘルメット着用義務は当たり前となっているのだ。アジアはどうだろうか。ほとんどの国でヘルメット着用が義務づけられているが、取締りの厳しさなどは国によってまちまちだ。日本と同様に厳しく義務付けられている国もあれば、観光地では取り締まりがほとんどなく、あったとしても罰金だけで済んでしまうような国もまだ多いのだ。興味深いのはインド。ヘルメット着用義務化が進みつつあるが、地域によって義務化の流れはまちまち。

宗教上の理由でターバンを巻かなければいけないシーク教徒は着用義務がないなど、お国柄を反映したヘルメット規制となっている。このようにいくつかの特殊なケースはあるものの、罰則や取締りの有無は別として、基本的には世界のほとんどの国でヘルメットの着用は義務づけられており、日本の現状は何ら特別なものではない。事故から命を守る制度として、ヘルメット着用義務については誰もが納得がいくものだろう。

好みは人それぞれです、考え方は人それぞれ

知っているでしょうか、ビューエルは、かつてアメリカでバイクを手がけていたメーカーです。社名の由来にもなっている、元ハーレーダビッドソンのエンジニアであった創業者のエリック・ビューエルの理想を実現したコンパクトストリートファイターバイクが大きな魅力でした。ビューエルが誕生したのは1986年のことでした。

幼少からモペットハーレーダビッドソンを巧みに操り、大学時代にはレースに参加していたエリックビューエルハーレーダビッドソンに入社した後に、オリジナルのロードスポーツバイクを製作して販売するようになったのが、ビューエルの誕生経由です。1998年には、かつてエンジニアとして在籍していたハーレーダビッドソンに買収されて同一ブランドとなったものの、ビューエル独自の魅力は損なわれる事なく臣下を続けました。しかし、2009年、ハーレーダビッドソンの売り上げ低迷を受けてビューエルは生産は中止されてしまいました。

それはエリック・ビューエル、そして多くのファンにとって悲しいニュースでした。ビューエルバイクは徹底的なマスの集中化と軽量化により、大排気量V型2気筒OHVエンジンを搭載しているにもかかわらず、250ccクラスのロードスポーツバイク並の車体サイズを実現しているという、かなり個性的な特徴を持っています。日本におけるビューエルの取扱いは、ハーレーダビッドソンビューエル正規取扱店にて行われています。生産終了した現在でも、サービスの提供はしっかりと行われています。

乗って楽しい見て楽しい、こんなものは最高だ

流行りといいますか、バイクブームは過去にも日本の経済成長と共に訪れています。1970年代には高度成長期で今までアメリカ主導だったバイクの生産が日本に移りより精密なメカニズムを搭載した日本製のバイクが現れ世界に輸出されるようになりました。HONDA DreamCB750、YAMAHA 650XS1、KAWASAKI 900Super4はその最も顕著たるバイクで、バイクと言えばハーレーといった概念を壊し日本をバイク大国へ押し上げた素晴らしい名車です。80年代はかつてない空前のバイクブームが訪れました。一部では「狂乱の80年代」と呼ばれメディアの普及と共にロードレースや鈴鹿の8時間耐久レースが若者の関心を高め、メーカーはレーサーレプリカを販売し高価なバイクが飛ぶように売れました。

YH戦争といってヤマハとホンダが業界一位の座を狙い毎月新車を出し一気にバイクの性能も高まり、バイク販売数は2013年が約45万台に対しピーク時1982年は329万台なので、そのブームがいかに凄かったかは数字が物語っています。バブル経済や暴走族等の社会的要因や漫画で言えば「バリバリ伝説」が人気で一般人まで巻き込んだブームとなりました。ここまでいくとバイクは実用性よりも趣味の世界に入っていき、個人のライフスタイルに合せた乗り物として認識されるようになりました、その後、バブルの崩壊による経済事情また原付バイクのヘルメットの装着義務化が推進され手軽さがなくなりブームが衰退していったようです。

ただし90年代にもHonda Steed400やYamha Majesty250などの名車は生産されていてストリート系は進化をとげ、20代の若者たちはファッション的な役割をもつバイクに魅了されました。そして「第3次ブーム」です。これは某メーカーのお偉いさんが言った言葉ではっきりとした定義はありませんが、バイクの登録台数も2010年以降は微増にあり、250ccのスポーツバイクの販売ラッシュを見るとブームというよりは安定性が出て来たと考えた方がいいかもしれません。

話し合いが好きな人、嫌いな人、どっちでもない人

会議と言いますが、最初のレースミーティングは1983年にニュージーランドクライストチャーチ郊外にあるRuapuna Speedwayにて開催されました。このクラブの設立の背景にはクライストチャーチのChristchurch Motorcycles、Classic Linesという2つのバイクショップが携わっていました。クラブは順調に成長し、ニュージーランド内の日本人以外のレーサーの関心を集めていきます。

そしてNorthern BEAR's、Central BEAR'sという2つのクラブが新たに生まれます。このクラブにまたがるレースイベントとしてNorthern Sound of Thunder、Central Sound of Thunderが開催され、クライストチャーチのRuapuna Speedwayで2月最終週に開催されるSound of Thunderと合わせて、レースシーンは拡大していきました。この時代のレーサ達ーはDucati TT2、Weslake、Denco、BMWなどでレースをしていました。

そして、この中にジョン・ブリッテンも含まれており後のオリジナルマシン開発に繋がっていきます。当時最も強力だったエンジンはDucatiのベベルドライブ(ベベルギアによってカムシャフトを動かす機構)の860ccVツインエンジンでした。ジョンと友人のマイク・ブロスナンは、もっと現代的なバイクを作ろうということで彼らのオリジナルマシンであるAero-D-Zeroを1985年に完成させます。

同じようにできたらどんなに楽しいことでしょう

とんでもなくバイクの扱いが上手いMotoGPライダーたちのライディングスタイルに繋がる起源を辿っていくと、1970年代後半に登場したケニー・ロバーツが最初のゲームチェンジャーのひとりとして浮かび上がってくる。当時のWGP最高峰だった500ccクラスのマシンの性能限界はまだまだ低く、マシンに負担をかけない直線的なライディングスタイルが一般的だった。これは排気量500ccの2ストロークエンジンから繰り出される強大なパワーが、当時の車体やタイヤの性能を遥かに上回っていたからだ。そんな状況の中で、ダートトラック出身の米国人ライダー、ケニー・ロバーツはこの限界を超越してみせた。

彼は車体とタイヤが持つ弱点に突破口を見つけ、優れたスロットルコントロールで理論的なグリップ限界の更に上までプッシュすることを可能にしたのだ。またロバーツは、コーナー内側に大きくハングオフすることで、膝を路面に擦り付けながらどこまでコーナーリングの限界に近づくことができるかを探り続けていた。こうしてロバーツは、恐竜たちを絶滅させた小惑星のように1970年代以降におけるGPの歴史を一気に塗り替えてしまった。2000シーズンを前にミック・ドゥーハン(オーストラリア出身、1994~1998シーズンGP500ccクラス5連覇)が引退し、GP界は再びヨーロッパ出身ライダーたちが主導権を握りはじめたが、その潮流を決定づけたのはヴァレンティーノ・ロッシという新たなゲームチェンジャーの登場だった。

あらゆる面で驚くべき才能の高さを見せつけたロッシは、テクノロジーの進歩へ素早く適応しながら、限界を更にプッシュする能力を持ち合わせていた。その巧みなレース構成力と幅広い対応力はまさに群を抜いており、彼は125/250/500の各クラスを次々に制覇し、やがて新生MotoGP時代の盟主として君臨していく。この頃、MotoGPレギュレーションの制定によって4ストロークエンジンが主流となり、急激にマシンの性能が上がった。しかし、「伝統的ライディングスタイル vs. スーパーバイク由来のライディングスタイル」という構図においてどちらがより効果的であるかについては当初まだ誰も結論を見出せていなかった。ロッシはそうした議論を尻目に、グリップ重視のコーナーリングとタイヤをスライドさせるコーナーリングの両方を自在に使い分けてみせた。過去のあらゆるスタイルを統合し、その上に新たなスターが現れるというこのスポーツの循環構造は、ロッシの登場によって再び印象づけられることになった。

新しいものを嫌う人もいれば、好む人もいる

何年も何年も数十年にわたって「自動車のボディは鉄で作られるもの」という認識が定着していたこともあり、その構造も大きく変わることはありませんでした。どんどん進歩していくエンジンやサスペンションと比べれば、動きのない分野だったのです。しかし、その静寂は環境問題とガソリン価格の高騰によって打ち破られました。

自動車メーカーにとっては、燃費性能こそが死活問題となり、社運をかけた低燃費争いが始まったのです。燃費の向上にはさまざまな手段が用いられます。例えば、エンジン単体の低燃費性能を上げたり、トランスミッションを効率化したり、空気抵抗を減らしたり。これらすべてに手を尽くしたメーカーが最後の切り札として取り組んだのが、車重の軽量化です。実は、自動車の重量は新型モデルが出るたびにどんどん重くなっています。

エアコンに始まりパワーシートやカーオーディオといった快適装備、エアバッグなどの安全装備が車重を増加させているのです。ボディも例外ではなく、衝突安全性が重視されるようになってから、格段に重くなっています。今さらエアコンを外したり、エアバッグを外したりして、快適性・安全性を犠牲にすることはできません。しかし、車重はどうしても軽くしなければならない。その解決策が、数十年にわたってほとんど変化のなかったボディの刷新なのです。

比べて比べて悩んで選んで

電気で動く自動車の電気自動車が人類史上初めて登場した時期は、ガソリン自動車の登場よりも古い1800年代でした。登場した当初こそ実用化レベルまでは到達していませんでしたが、その後、1900年代に近づく頃には、実用に耐えうる電気自動車がイギリス、フランスにおいて開発されました。また、日本にも三輪自動車として電気自動車(アメリカ製の電気自動車プログレス)が個人レベルで輸入されました。1900年代に入ろうとする頃、電気自動車の他にガソリンを動力源とした自動車も実用化されていましたが、電気自動車がもっとも普及に成功していたのです。

この頃のガソリン自動車は技術的に未熟な時代であり、そのメカニズムは製造が難しいこと、さらに、運転する方も高い技量が求められていたためガソリン自動車の普及は進みませんでした。一方で、電気自動車は製造とメンテナンスが比較的簡単であり、運転する方も自動車の始動が容易であるため、電気自動車の方が広く受け入れられていました。1900年頃の世界は電気自動車が主流でしたが、1900年初期にフランスの自動車メーカーが高性能のガソリン自動車開発に成功し、これがきっかけとなりガソリン自動車の機構が洗練され始めました。

一方、電気自動車の方では目立った技術革新は行われませんでした。やがて、米国の自動車メーカー・フォード社が1908年にT型フォードを世に送り出し、政府の後押しも行われ、コスト低下とともにガソリン自動車が人々の間で一気に広く受け入れられるようになりました。このT型フォードが、ガソリン自動車の爆発的普及のきかっけとなったわけです。そして、ガソリン自動車の普及とともに、世界において電気自動車の存在感が薄れて行きました。

技術が素晴らしいと楽しいですね

イギリス、有機ELの先進国である英国ではプラスチックエレクトロニクスの開発を政府の肝いりで進めており、英国全土に5カ所の研究拠点(Centre of Excellence:COE)を設けている。このうちの4カ所が大学内に設けた施設を利用するが、1カ所だけは政府が組織化した。このPETEC(Printable Electronics Technology Centre)は、北東イングランドの田舎町セッジフィールド(Sedgefield)に設立された。

プラスチックエレクトロニクスの量産設備であるロールツーロール(R2R)を設置できる広い場所を求め、この場所が選ばれた。このPETECには、R2Rマシンだけではなく、薄膜形成のスパッタリング、エッチングリソグラフィ、プリンティングなど半導体を作れるほどのクリーンルームを持ち、一種のインキュベーションセンターとしても機能する。基板となるプラスチックのポリエステルフィルムは耐湿性を向上させるためにバリア層が欠かせない。このためのALD装置も持っている。例えば、ポリエステル基板の上にALDで固いSiN膜を堆積しその上に有機ELバイスを設ける。

生まれたばかりのベンチャー企業のPolyphotonixはPETECの設備を使い、有機EL照明の商品化を目指している。この施設を利用するためのコンペに勝ち、政府から6億円を獲得、ビジネスリスクを下げられるとして、商品化に向けたビジネス開発に力を入れている。曲げられるプラスチックの上に有機EL材料を構成した、フレキシブルなディスプレイの最も実用化が近い応用と見られるのがこの有機EL照明だ。

売りたい買いたい、どっちなの

バイクや自動車などのエンジンの燃料としてガソリンスタンドで販売されているのは「ガソリン」と軽油」。さらにガソリンは「レギュラー」「ハイオク」に分かれている。レギュラーとハイオクの違いは、含まれる添加剤の割合にある。この割合は「オクタン価」と呼び、オクタン価が高いほうがハイオクと呼ぶ。

オクタン価が高いと、エンジン内部の爆発が予期しないところで起こる異常燃焼が起こりにくくなる。また、ディーゼル車はエンジンの構造が他のエンジンと違うため、軽油が燃料になる。もとは石油から作られ、同じ燃料だが、その差は蒸留温度の違いで分けてあるのだ。乗用車の中で一番多く採用されているのがレシプロエンジン。これは、エンジン内部の円筒状の空間(シリンダー)で爆発した燃料の力を、ピストンが受け止めて上下に動くものだ。その、上下の運動を回転運動に変えるクランクシャフトを介して、回転力として駆動に伝えるメカニズムを持つ。

もっともポピュラーなエンジンといえる。エンジンの中でも、エンジンが動く過程を「空気」「圧縮」「爆発」「排気」の4つで行うものを、4ストロークエンジンと呼ぶ。空気や燃料を取り入れ、排出する空気バルブ、爆発のための着火パーツスパークプラグ(ディーゼルには無い)、爆発を受け止めるピストン、上下運動を回転運動に変えるクランクシャフトの4つが、レシプロエンジンを構成する重要なパーツとなる。ディーゼルエンジンは燃料が爆発する仕組みがガソリンとは違うが、エンジン内部で行われる行程は変わらないので、レシプロエンジンの仲間に入る。