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極限の世界にこそ、大事なものがあるのだ

自動車とバイクで有名なホンダの4輪スポーツ車は、62年のT360、S500から始まっている。このS600は'65年に登場した日本の4輪史に残る名車の1台となった。本来、4輪は好んでいなかったPOPだが、チユーナー心をくすぐるエンジンをのせていた。4気筒ダブルオーバーへッドカムエンジンは、いかにも挑戦の世界を求め続けた本田宗一郎らしさがにじみ出ている作品である。

このころでは、2輪のほうでは2サイクルマシンの台頭著しく、いかに精魂を込めたチユーニングを施しても、POPのCBが勝てる可能性は低くなるばかりだったから、よけい4輪に熱を上げたのである。結果は、大成功。森脇護は2輪での優勝を第10回(初)と第12回日本モーターサイクルクラブマンレースのジュニア250ccクラスで果たしたあとは、4輪レースにも出場していた。'70年7月26日、全日本フジ1000kmレース(GTS1)でまず1勝目。続いて'71年のビッグイベント、ジャパングランプリ(GTS1)での優勝はヨシムラS600のポテンシャルの高さを実証してあまりあるものがあった。高速のダンロップブリッジを登るトップグループ。

まだトラブルの発生しないTZを快調に走らせるデビットエムデ。GPマシンKRでこれを追う和田将宏、そしてクーリーの駆るヨシムラGS1000。3車三様のマシンが当時の8耐の背景を物語っている。この後、KRは耐久レースの試練に耐えられずに、徐々に遅れをとってリタイア。TZもトラブルに見舞われ、トップは予定どおりヨシムラのものとなっていった。4サイクルアップハンドルの市販車改造レーサーが、生粋のレーシングマシンをことごとく破るというレース結果は十分に衝撃的だつた。

8時間後の表彰台は、ヨシムラ健在の証だった。たび重なるクラッチトラブル、レース時のフロントフォークボルト切損、トラブルは後から後から襲いかかったが、ヨシムラは強かった。まだシステムのシの字もない前時代的な体制ではあったが、レースに勝つには何が必要なのかを、ヨシムラはよく知っていたのだ。