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過去から学び、未来を作りたいと思う。

いまからけっこう前の1981年頃、雑誌社によってゼロヨン大会が行われた場所は、谷田部の自動車テストコース。1983年には富士スピードウェイにてカーショップクラブによってゼロヨン大会が開催。この頃は、0400mを競っていた。そして1984年 JAF公認団体ロードランナーレーシングクラブ(RRC)によって、初の公認競技として開催。距離もSS1/4マイル(402.33m)で行った。当時は公道を走っていた車がほとんどで、競技専用車の姿は少なかった。

この時代のタイムは12秒台がほとんどで一つの目標が12秒を切る事。主流は、日産のL型エンジンやマツダロータリーエンジン。そして11秒台に突入、ビッグパワーエンジンをボディーの軽い日産サニーなどに搭載したマシンなども登場した。その後、1989年のUSAドラッグフェスティバルを皮切りに、トップフュ-エルドラッグスター、アルコールファニーカー、ガスドラッグスターなどがJAFに承認され、本格的なドラッグレースが開催された。この時期に日本ドラッグレース協会(JDRA)が発足。また、日本独自のワンメークによるドラッグレース(プロGTR)も開催。プロストックカーもパイプフレームにより、8秒台に突入。

19912輪クラスも追加、翌年にはMFJ公認競技として開催。その後、日米対決、国際大会(アメリカ、オーストラリア、スエーデンetc)などを経て、二輪、四輪各団体が発足!!JDDA、BERC、JD-STERやアメリカンフェスティバルなど、ドラッグレースを開催してきた。しかし近年ドラッグレースは下火に、この問題を打開すべくJHRA 日本ホットロッド協会が発足!再びドラッグレースをメジャーなモータースポーツとして確率すべく立ち上がった。