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頂点に立てる人が出てくると嬉しいですよね

レース

いままで色んなレーサーがいましたが、日本人として最多グランプリ出場数を誇る「神風右京」とも称されていた片山は、引退するまでスポンサーだった日本たばこのバックアップのおかげもあって、全日本F3000(2004年までF1の直下に位置していたカテゴリー)チャンピオンとしての実績が認められ、1992年にF1に渡った。しかし最高結果はティレルで2回に渡って手にした5位。1997年にF1を辞めてから、片山はル・マン24時間レースや全日本GT選手権ダカールラリー、アジアクロスカントリーラリーなどに参戦している。

1987年、中島悟はあの3回王者のアイルトン・セナと同じチームで走った。2人は友情こそ分かち合ったが、レーサーとしては明暗を分ける結果となった。1991年、39歳で引退を宣言した中島は、F1チーム作りに専念するもコストが高すぎるため断念し、F3000のチームで我慢せねばならなかった。以来、中島は自身のチーム「ナカジマレーシング」の監督として現場を率いている。1990年、「これでダメなら引退」との思いで臨んだシーズン、イギリスGPとスペインGP続けて6位で終わった鈴木阿久利は、日本GPで初となる3位表彰台を獲得。日本人初の表彰台に輝いた鈴木は、2006年に自身のレーシングチーム「スーパーアグリ」をF1でデビューさせたが、2年しか持たなかった。ポイントと結果のみで判断すると、歴代最高のレーサーは小林可夢偉だ。

トヨタの至宝と呼ばれていた小林は、同社がF1から撤退する羽目になった2008年に姿を現した。スイスのザウバーに移籍した小林は2012年、1990年に鈴木が表彰台に上がってから誰も上がることのなかった日本グランプリで表彰台に上がった。セバスチャン・ベッテルとはF3時代にチームメイトだったこともあり仲が良い。先に指摘した日本GPの表彰台インタビューでは、優勝したベッテルのことを「べっちゃん」と呼んでいる。