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大きなイベントがあると変わるのでしょう

道路

2020年のではなく、過去にあった東京オリンピック時の東京の人口は900万人。昭和39年7月に自動車の登録台数は100万台となり、月1万台ずつ増えていく状況だった。昭和30年代の初頭から、このままでは東京の自動車交通がパンクするのは目に見えていた。街路だけでは、この交通量はとてもさばけない。オリンピックというこの絶好の機会に、高速道路の建設も一気に推し進められた。有楽町と銀座の間にあった外堀は、昭和30年代に埋め立てられ、その上にあたる新橋駅北から有楽町まで約2キロ、東京で初めての高速道路が造られた。その道路下は駐車場や店舗などにされた。

数寄屋橋付近でおなじみの西銀座デパートなどがそれである。この区間だけを通るのは無料な上、都心の景観も楽しめる、昭和30年代マニアの間では、ちょっとした東京名所的なスポットにもあげられる場所だ。これに次いで、オリンピック開催までに本格的な首都高速道路の建設が始まる。首都高速道路公団は昭和34年6月に設立された。オリンピック関連高速道路として建設された高速道路の合計距離は、30キロほど。5路線あった中でも、特に首都高速1号線と4号線は、オリンピック大会時に選手や大会関係者の輸送に重要な役割を果たすものだった。1号線は、江戸橋から羽田間の17キロが建設され、銀座から羽田に15分で行け、都心から空港までの所用時間の短さは誇るべきものとされた。4号線は江戸橋から甲州街道入口の初台までの11キロ。オリンピック選手村、神宮メインスタジアム、赤坂見附、千鳥が淵、皇居などを通り、都心の緑豊富な景観を望むことができる。当初、銀座、丸の内、日本橋、渋谷など都心の主な場所が高速道路で結ばれたが、オリンピック後に延長が行われ、今ではその総延長距離はオリンピック時の4倍以上となった。昭和30年代、それまでの日本には、自動車交通用のまともな道路はなかったと言っても過言ではない。

舗装してある道はめずらしく、雨が降ればどろんこ、晴れれば土ぼこり。道の脇にはドブが流れていた。そんな状況の中、突貫工事で造ったのが、用地買収などの関係で、川の上などに無理やり造った首都高速道路だった。その首都高速道路も、築40年を過ぎて、地震に対する橋脚の補強、景観上の配慮や防音対策などが行われている。近年もレインボーブリッジの開通や湾岸線の延長など、新たに道路網は広がっている。そして、今もっとも注目されているのは、日本橋の上を通る首都高速都心環状線を撤去移動させる、というプロジェクトだ。周辺の日本橋川沿いの建物の移動なども伴う大規模な計画であるが、これが都心のこれからの街づくりにどのような影響を与えるかには注目したい。