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過去を知ると楽しいですね、知識です

あのとても有名な人物、豊田喜一郎の思いから、豊田自動織機に自動車用特殊鋼開発の製鋼部が立ち上がったのは1934年のことだった。わずか十数名で操業を開始した製鋼所ではあったが、1日3トンから5トンの生産量は、翌年、小形圧延製品の一部を市場に提供できるようになっていた。一方、豊田自動織機で立ち上がった自動車部から一足先に独立したトヨタ自動車は、国策により従来の生産に加え月間3,000台の増産計画を立てていた。

それにともない特殊鋼の需要も増加し、大規模な知多工場の建設が急務となった。いうまでもなく、特殊鋼専業メーカーとしての独立が望まれ、1940年に愛知製鋼の前身、豊田製鋼が誕生した。自動車製造には、目的に合った高品質な材料を自前で供給する必要があると考えた喜一郎は、「よきクルマは、よきハガネから」を理念に掲げ、兄弟関係にあるトヨタ自動車と二人三脚で、モータリゼーション隆盛の時代へと向かった。

しかし、船出はしたものの、戦争による物資不足や、台風などの自然災害が続いた。伊勢湾沿岸の愛知県・三重県を襲った1959年の伊勢湾台風では、歴代工場長の記録をはじめ、すべての書類が流されるという災難に見舞われてしまう。そんな苦難を乗り越えながらも、製鋼法の近代化や設備の合理化をすすめ、「愛知のばね鋼(板ばね)」や「ステンレスアングル(山形鋼)」といったブランドを誕生させていったのである。