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ものつくり

いまからだいぶ前の1903年には、フォードはアメリカのレーシングカーとして当時最も成功を納めることにになる「999」モデルを製造した。続く5年間のうちに、彼は色々な車を市場に出している。1907年の後期に、彼はTモデルに集中することを決心した。Tモデルの製造は1908年にはじまったが、それまではたった年間65台の車しか製造していなかったのに対して、1909年には約11000台のTモデルを製造している。1910年には、19000台が製造されるほど、自動車に対する膨大なニーズがあった。

1920年間までに、およそ100万台近くのTモデルが製造されたが、その後のたった3年間でその数は2倍になっている。オールドもこの競争相手の成功を黙って見ていたわけではなかった。彼は1908年にオールド自動車会社をキャデラック社と合併させた。ビューウィックとオークランド(後のポンティアック)社はゼネラルモーターズ社を作ったが、それでもTモデルは勝者であった。

1910年になると、フォードは膨大な生産要求に対応するために、デトロイト郊外のハイランドパークにマスプロダクションを実現する彼の革新的なアイデアを盛り込んで、新しく設計された工場を設立した。ヘンリーフォードは自動車を発明したわけではないけれども、彼の生産手法があって初めて普通の人に自動車が手に届くものとなったのも事実である。「Tin_Lizzie」として知られるようになったモデルTの価格は$220 発売開始時の850ドル(当時の競争相手の車の値段は2000~3000ドルと言われている)から、1920年代には300ドルにまで下げられた。

1914年には、モデルTは40秒ごとにハイランド・パークアセンブリーラインから出荷されるようになった。モデルTは多用途にも適用可能であった。農家はこの車に大きな車輪を車に付けたがった結果、それはトラクターになった。また、後ろをカットし、頑丈な荷台を付けてトラックにされたりもした。フォードはモデルTを「ユニバーサル・カー」と読んだが、ある意味彼は正しかったと言える。