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人が集まり、物が集まり、お金が集まる

ものつくり

平成よりもかなり前の明治22年、町村制の施行により与野町は、周辺の上落合村、下落合村、中里村、大戸村、鈴谷村、上峰村、八王子村、円阿弥村、小村田村の9村と合併し、新生「与野町」が誕生した。市場の町として栄えていた与野も、明治16年高崎線が、ついで東北線が開通し、物資の流通形態が変化してくると、衰微の微候が表れてきた。そこで、地元の有志たちが与野駅開設運動を展開し、大正元年ついに与野駅が開設された。その後、昭和7年に省線電車(現京浜東北線)が開通し、昭和9年には9号国道(現国道17号)が開通すると、商業・工業活動の中心は、本町通り周辺から上落合、下落合など東部地区に移っていった。

9号国道沿いには新たにトラックボディ工場を始め、自動車の部品・修理工場、また販売店など自動車関連産業が多数進出し、昭和30年代には「自動車の街与野」といわれるようになった。昭和33年、与野町は単独で市制を施行し、県下20番目の「与野市」となった。その後、市域は小さいながらも、市民の住みやすい「きらりと光る市民都市」実現を目指し、都市基盤の整備に努めた結果、道路舗装率、上・下水道普及率などはほぼ100パーセントに達した。昭和60年、埼京線の開通により、市内に北与野駅与野本町駅南与野駅の3駅が新設され、「さいたま新都心」西側の最寄り駅となる北与野駅では、駅周辺開発事業による駅前広場の整備、ビル群の建設、与野本町駅の西側地区では埼玉県芸術文化の殿堂「彩の国さいたま芸術劇場」が建設され、これまでの市の様相を大きく変えるに至った。

さらに、与野市域が大半を占め、3市合併の契機となった「さいたま新都心」の建設は、平成12年5月に街びらき記念式典が開かれ、同年9月に「さいたまスーパーアリーナ」、「けやき広場」、「ラフレさいたま」が全面オープンした。中枢施設であるさいたまスーパーアリーナでは、音楽・スポーツ・文化などの様々なイベントが開催され、新たな賑わいを創出している。