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記憶はいつまでも

ものつくり

第一次の次、第二次世界大戦が始まるまでに、グレイ・カンパニーの売上は100 万ドルに達しました。会社はアメリカの急速な防衛産業の構築による新たな需要と機会に対応すべく様々な潤滑油の新製品を開発しました。戦争が終結した時点で経営層は、自社の流体処理技術を自動車整備用途に止まらずその他の多くの分野に応用できることを認識していました。

1948年までに会社はもう一つの基盤事業となる最初の塗料用ポンプを開発し、その一年後には重機械産業向け流体処理用にドラム缶から直接潤滑油を汲出すポンプを発表しました。1950年代半ばまでには、グレイ・カンパニーは自動車整備業界のリーダーとしての地位を維持する一方で、塗料スプレー・仕上げ、食品処理、クリーニングを含む文字通り数百に上る様々な用途・分野でその地歩を固めました。依然として小企業ではあったものの、その売上は500万ドル、従業員数は400名に達しました。グレイ・カンパニーをスプレー・コーティングと塗装のマーケット・リーダーたらしめた1957年のエアレス・スプレーガンの開発と、1958年のレイル・グレイの死去後に、今日のグラコの形成が始まりました。グレイの後継者であるハリー・A.・マーフィが四年間社長を務め、その退任後はデービッド・A.・コックが会社を統率しました。

コックは会社の支持基盤には会社が本拠を置く地域社会も含まれると考え、会社を積極的に大きくすることで、支持基盤と顧客、従業員に対する会社の貢献の強化に取り組みました。グレイ・カンパニーが1969年に株式公開企業となり社名をグラコに変更した時点で、その売上は3300万ドルに達していました。グラコの売上はその二年後、最初のグリースガンを販売した年から数えて50年弱の間に、5000万ドルの大台に達しました。意義深いことに、その時までにグラコは静電塗装機メーカーであるH.G.フィッシャー・アンド・カンパニーを買収しており、これが自動車の塗装仕上げ業界での地位を劇的に押し上げることに繋がりました。

同業界ではその当時ですでに、危険で無駄の多い霧化塗装から、環境面でクリーンで効率のよい静電塗装への切換を図っていました。会社の成長は続き、それから十年が経過するまでに、グラコは既存の市場での地歩を確固たるものにするとともに新市場への参入も果たし、売上は1億ドルを超えるまでになりました。同時に仕上げ技術への重要な戦略的投資を行う決定を含めた重要な決定が下され、これが更なる成長への基礎を形成することになりました。