読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おすすめさん

おすすめさんのおすすめをおすすめする

いつの世代も時代も愛は変わらない

かなり昔の物語ですが1929年の世界恐慌により再び業績が悪化したトライアンフは、1932年には自転車部門をラレーに売却。オートバイ部門では新たな主任技師ヴァル・ペイジを迎えて新規車種の開発をはじめました。1934年には社名を「トライアンフ」(Triumph Co.Ltd )へ変更して改革を推し進めようとするが、自動車部門が財政を圧迫します。1936年、オートバイ部門は自動車部門から切り離され、オートバイ会社・アリエルを再生させた実業家、ジャック・サングスターによって買収されました。

オートバイ専門となったトライアンフは社名を再び「トライアンフ・エンジニアリング」とし、元アリエル開発者のエドワード・ターナーを新たな主任技師としてトライアンフを立て直していきます。トライアンフ再建はペイジの開発した車種を基に改良することからはじまります。第一歩は単気筒のタイガー系列からだったが、1938年に登場したスピードツインが再建への節目となります。この車種は当時並列2気筒というだけで珍しかったが、単気筒が全盛だった時代に単気筒車種よりもわずかに軽量で最高速も優るという性能で、車両価格は単気筒よりわずかに高いだけという設定が驚異的であり、スピードツインは大いに売れてトライアンフの財政を一気に好転させる一因となった。更に翌1939年にはスピードツインの高性能版としてタイガー100が登場、34hp最高速度160km/hで人気を博しました。

1939年に第二次世界大戦がはじまると、先の大戦時のように、トライアンフは軍用車の生産に追われるようになります。だが、トライアンフを含めて軍需兵器の一大生産地となっていたコヴェントリーはドイツ軍の空襲を受け、トライアンフの工場も爆撃を受けて壊滅。政府の援助により近隣のウォリックに設けられた仮工場で生産が再開されたが、一方で新たな生産拠点としてメリデンに新工場が建設され、1942年には新工場で生産が開始された。なお、トライアンフが第二次大戦中に生産した軍用車は、最終的に約5万台にもなったといわれています。