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これは忘れていたことだなと思いだすと嬉しい

海の軍隊である海軍は燃料と潤滑油のほぼすべてをアメリカからの輸入に頼っていた。南部仏印進駐による米国の禁輸と軋轢が強まる中で急きょ潤滑油の開発と製造が開始された。実際のところどの程度のグレードと特性を持った潤滑油が生産し供給されたのか「海軍燃料史」を読んでも判然としなかった。

徳山海軍燃料廠史頁293に第三海軍(徳山)燃料廠史に「開戦当初は(精製に)カナーダ原油を使したがその後南方原油を使用するようになったが蝋分(パラフィン)を含むため脱蝋装置が必要となり 昭和18年(1943)に蝋濾過器つくられた。」 このことから海燃では南方原油から高品位の潤滑油をつくれなくなってしまったことを示唆する。 内燃機用潤滑油でもガソリンエンジンディーゼルエンジンで同一性状のものは使えない。軸受け潤滑などまた別の性状でなければならない。海軍が誇った九三式酸素魚雷も敗戦前には製造できなくなり一世代前の魚雷に逆戻りしている。

熟練工(徴兵)の不足と潤滑油の問題があったと考えられる。兵器は戦争中でも進歩するものだが 退歩した軍隊は人類に戦争が始まって以来日本海軍が軍事史上でも希有の例かもしれない。特攻機も多くエンジン不調でひき換えすか不時着している。 これも潤滑油にその問題の要因があったような気がしている。当然日本国内と熱帯で同一の潤滑油は使えない。国内製造潤滑油が本当に使えるようになったのは石油民族系 I社 が 1980年代にリリースした 10W-30(テン・ダブリュ・30)の潤滑油からだった。当時の日本国内で夏冬通期で使える潤滑油が始めて出現した。それ以前は冬は冬用夏は夏用の潤滑油に交換する必要があった。 また駆動軸のプロペラシャフトにも潤滑油注入ニップルが付けてあり定期的に補油する必要もあった。